chapter1

1話 覚悟「なし」。それでも始まる

これは0歳児を抱えてシングルマザーとなった私が、息子と2人で成長してきた物語。この物語が、同じように悩んでいるあなたの心を少しでも休ませるものとなりますように。連載の第1話♪

思っていたものと違う子育ての始まり

始めの夫婦の危機は、妊娠初期。

元夫

子どもをおろして別れたい。

そう言われた。何度も話し合いを重ねて、最終的に

元夫

俺はやっぱり人を「kろす」ことができない

そう言って、夫婦として家族として再構築することにした。

そして子どもが産まれて一か月後…

元夫

子どもが産まれたら君の性格が変わると思ってたのに、全く変わることがなかったからやっぱり別れたい。

そう言われ、私のひとりでの子育てが始まった。

私は里帰り出産をしてまだ実家にお世話になっている時期だった。

出産後、まだ元夫と一緒に生活もしてない時期。里帰りして実家にお世話になり始めた妊娠後期から生活費ももらっていない。

子どもに必要なものは、両親や私の友人からのプレゼント、貯金でそろえた。

「妊娠中にひと騒動あったけど、ちゃんと話し合ったし大丈夫」と言い聞かせていた私。

やっぱり甘かったか…と思いながらも、ダメージが大きいことに気が付き、期待していた自分に嫌気がさした。

覚悟が出来ていなかった自分に気が付いた瞬間だった。

否定され続ける日々

それからは元夫から性格・生き方・言葉遣い、そして育った地域さえもすべてを全否定される日々が続いた。

元夫

子どもが君に似たら最悪

今更それを言う…!?という言葉の数々。反論することに使うエネルギーはなかった。

おさとちゃ

子どもをこれからどう育てよう?…父親が初めからいないってどうなんだろう…??

その考えがめぐって、子どもへの申し訳なさと不安で何をしていても何も考えることができない状態だった。

何度聞いても、質問を変えても元夫から返ってくるのは私への不満だけ。

救いは、子どもが元気に成長してくれていることだった。

初節句の車内での沈黙

離婚をすることにしても、一度家に帰って引っ越しをする必要があった。

当時、実家と家の距離は約550kmほど離れていて、住んでいた地域は新幹線が通っていない場所。ベビーグッズが大量にあるため移動にはかなりの労力がいる。まだ首の座っていない息子をチャイルドシートに乗せて休憩しながら約7時間の車移動で家に帰った。

家につき、今後のことを話し合おうとしたとき

元夫

やっぱり明日、実家に帰って。俺が送るから。

一方的にそう言い、私の声は届かなかった。

次の日は5/5。息子の初節句の日だった…。

彼がそのことをどう考えていたのかわからない。

いっぱいいっぱいだったのかもしれない。

それでも私はこのことを今でも許すことはできない。

実家に電話をして状況を話し、帰宅しても大丈夫かを確認をした。

母は「距離も遠いし荷物も多い。昨日の今日で長時間車で移動をするのは子どもにとっての負担も大きい。一旦距離を置くのは良いとしても、ホテルを取って別々に過ごしてみたら?」と提案した。

義父にも電話をし、母の提案を話すと「近くにいたら男は妻のことが気になって一緒にいなくても考えてしまうから…」と、私からすると???なことを言い続けていた。

おさとちゃ

え、妻は置いといても、子のことはちゃんと考えてほしいんだけど…それを望む私は欲しがりさんですか…???

その裏では、父が私を「迎えに行く」と言い、姉が「(父が高齢者だから長時間運転は)危険だから、行くなら自分が運転する」と話しざわついていたことを後で聞いた。

結局私は初節句の日、夫の運転で実家に帰宅した。

なぜこんなことになったのだろうと、沈黙の車内で息子をぼんやりと見ながら車に長時間揺られ続けた。

その態度をのちに義母から

「息子は一生懸命気を遣っていたのに、無言の空間が怖くておびえながら(?)運転したって言ってたわよ!!!」

と責められることになるとは、この時の私は思ってもいなかった。

私は一体、どうしたらよかったのだろう。

この理解できない状況下でも、ニコニコして楽しく会話をしたらよかったのだろうか。

そしてその後、数カ月間こちらから連絡をしない限り夫からの連絡は途絶えた。

覚悟なく始まる息子との生活

覚悟がなくても、答えがなくても、確かにいえることは、

「いまの私と息子の生活は幸福」だということ。

私と息子の生活は、実家の両親・兄姉・友人、そしてそれから出会うたくさんの人を巻き込みながらも、楽しくて笑顔で成長してこれたのだから。

次回は、実家で過ごした息子の初節句です。お楽しみに♪

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